俺はあまり程度問題って言葉は好きではないが、ソフトウェアにおける設定変更やプラグインってのは程度問題の格好の対象だ。一体、どこまでやりゃちょうどいいのか?
俺の立場を示すと、とにかく多くの一点突破主義的なソフトウェアが競争していて、そこから人々が好みのものを探すか好みに近い奴をハックする、そうでもなければ自分で作る、そういう世界でいいんじゃねーの? それならソフトウェアの設定やプラグインは最小限で済む。だからまあ Guido van Rossum や Alan Kay の考える世界が早く来やがれってことなんだけど。
Python などの高級言語でアプリケーションを実装するのはとても良いアイディアで、例えば Scribes のキーバインドが気に食わなかったらコードを直に弄れば済む話だ。 C などで書かれたアプリケーションよりは、こっちの方がずっと容易だろう。 emacs はそれを実現してるって? いやだからカスタマイズしないと使いものにならないソフトウェアはダメなんだって。
チューリング完全な DSL にはろくなものが無いような気がしてならない。 Python などの言語を DSL にしている場合は例外かもしれないが、そういう場合ってアプリケーションそのものが貧弱なケースがあるような。 epiphany とか。 gedit はわりかしまともか。 JavaScript もそうかもしれないが、もはや Web ブラウザはプラットフォームだからなあ。いいのか悪いかわからんが。
SQL が成功したのって、もしかしてそれ単体ではチューリング完全じゃない (だよね?) からなのか? まあいつも通りテケトーな思い付きなんでどうでもいいや。
何かの気の迷いでまた Opera でブラウジングをしてみて、改めて Opera は不安定でお話にならないことを痛感。やっぱもうこれはメーラ専用にしよう。そのメーラも、いいものがあればとっとと乗り換えたい。