最近また睡眠サイクルが狂い出した。やたら眠いよ。そのせいかどうだか知らんが、上司に「血糖値があがるから。多分」とブドウ糖を渡されちまった。試しに食ってみたら本当にブドウ糖の固まりで、ぶっちゃけた話できそこないの落雁。お茶と一緒に食ってた上司はよかったかも知れんが、俺が飲んでたのはオレンジジュース。最低だった。
というか俺って、生きる上で必要な栄養素がいろいろ足りてないっぽい。だからといってサプリメントはなあ。俺の中では、サプリメントに頼るようになったら負けである。本当は冷凍食品もかなり負けに近いのだが、他に手っ取り早く弁当を作るのが無理だから仕方がない。
しばらく前に読み終わったものの感想を書いてなかった本が二冊あるので、それの感想。
「盲目の時計職人」は進化論への反論や、一部進化論者内での決裂などに真向から立ち向かう内容。俺はとても楽しく読めたけど、進化論それ自体にあんまり興味がないって人は読んでもそこまで楽しめないかなあ。「悪魔に仕える牧師」の方は科学的な啓蒙を伴ったエッセイ集で、こっちはかなり万人向け。特に後者はかなり直接的に科学的思考の重要性を説いていて、是非ともエセ科学や宗教にはまってる人に読んでもらいたい本だ。そしてできれば、そのくだらない信仰を自ら進んで捨ててもらいたい。確かに結婚詐欺師に騙されているうちは幸せかもしれないが、いずれ破綻するときがくる (発狂でもしない限りは。多くの宗教家は、詐欺師か狂人の類だろう)。俺はそういう人達が本当に幸福であるとは思えないし、思いたくないし、思ってはいけない。
幸福というのは主観的な概念かもしれないが、実は一つだけ、確実に人類で共通の幸福というものがあると思う。それは自分と自分を取り巻く環境をコントロール出来るということだ。そして宗教やオカルトや過去からの因習というのは、誰かによるコントロール以外の何者でもない。自ら進んでその道に入る人も多いが、じゃあ一旦入信した後に本当に自分をコントロールできているのか疑問だ。もしも自分の教義と外の世界の間に衝突が起こった場合、どうやって自分を納得させるんだ? 例えば自分が「水は人間の言葉に反応する」と盲目的に信じていたとして、将来それが嘘だとわかったとき、一体どうするつもりなんだ? 世界から目を背け、自分の中に引き篭るのか? それとも何か適当なダブルスタンダードを作るのか? それって、本当に自分で納得してるって言えるのか?
何かをコントロールしようと思ったら、聖域のようなものを取り払う必要がある (オープンソースが好ましい理由がこれだ)。科学的な思考方法は、聖域を決して認めない。誰もが自分の納得のいくまで考え、検証することができる。人を殺してはいけない理由をただ単に「それはいけないことだ」と教えるのは、明らかに科学的な態度ではない (よって子供のためにならない)。神が存在するかどうかについて「いるに決まっている」とだけ教えるのは、明らかに科学的な態度ではない (よって子供のためにならない)。そのどちらも自明 (殺人に罰則がなければおちおちコンビニにもいけないし、神の存在する証拠は存在しない。万が一にも神がいるなら、そいつはゲリラの招集や性的搾取の被害にあってる子供を救おうとしないクソ野郎だ) だが、それについて考えることを禁止するのは思考停止した人間を増やすだけだ。科学的な思考というのは、人間の精神活動を自由にするものなのだ。そして恐ろしいことに、この世界には自分の子供に事実無根で全く科学的でないことを吹き込む親がいる。その子共が将来自分達よりも賢くなり自分達のついてきた嘘に気がついたとき、一体何が起こるのかさっぱりわかっていないようだ。
なんか予定よりも長くなったのでここらで〆。またいつかこのテーマで何か書くかも。
そうそう、科学的な思考方法をしていたからといって、必ずしも幸福になれるわけではないよ。たまーにここら辺を読み違えるバカがいるので困るんだけど。あと科学も宗教のうちとか言い出すバカも困り者だな。じゃあ科学のどこが宗教なのか、説明してみろってんだ。こういうバカは、水からの伝言や創造論についてはてなブックマークあたりで (ほかのソーシャルブックマークシステムでもいいけど) 探せば容易に見付かる。と思う。見ていてむかつくから、それ系のエントリーへのブックマークコメントは見ないようにしてるけど (それに新しい知見が得られるわけでもないし)。
あと前から書いてるけど、俺は宗教だのなんだのは科学的に考えてろくなもんじゃねえと思っているけど、単なるフィクションとして見た場合まで否定するつもりはないというか、それはイソップ童話にめくじらを立てるようなものだ。フィクション、ファンタジーの類なら別に害はないだろう。俺が言ってるのは、それらに対して疑問を抱かずに真実だと受け入れてる連中はマヌケだってことなんだから。
こういうことを書くと「じゃあお前は科学的な方法を信じているだけだ」とかぬかすインポ野郎がいるのだけど、じゃあそういうお前は何が有効な方法だと思ってるんだ。どうせ何も考えてないのだろう。実のところ科学的な思考というのは本当に大きなフレームワークで、本当に多くのことがそのフレークワークの中に入ってしまう。このことは「空飛ぶスパゲティ・モンスター」にも書かれている。
つまりそういうことをぬかすチンカス野郎はこう言いたいわけだ。「無根拠に何かを信じろ」と (根拠を求めるのはきわめて科学的な姿勢だから)。俺はごめんだね、耐えられそうにない。
ちなみに俺は信仰の本質は愛に近いものだと思っている。そしてとても重要なことは、子供にとっては親がまさに信仰の対象であるということだ。子供にとっての神だといってもいい。そして子供はいずれその信仰に見切りを付けなければならない。これが「天使禁猟区」のテーマなのだが、いい加減話の収拾が付かなくなってきたのでもういいや。
どうでもいいけど、どこぞの団体 (正式名称は失念) の作った標準では「ドライバ」は「ドライバー」で「コンパイラ」は「コンパイラー」で「アセンブラ」は「アセンブラー」と書かなければいけないらしいけど、バッカじゃねえの? それって統一して何か意味があるのかよ。どっちで書いたって普通は通じるわけだし、それどころか、ネジ回しの場合は「ドライバー」でデバイスドライバなどコンピュータ用語の世界では「ドライバ」と使い分けをする人にとってはいい迷惑だ。こういうのを見ると、外来語を全部本来の言語で書いた文書を送りつけたくなるな。
ちなみに俺はカタカナ英語の類については愛憎半ばしている。便利な半面、明らかに英語力は低下するだろうからなー (ラジオとかカレンダーなんかがいい例でしょ)。まあコストを支払わずに便利にするなんてまず出来ないから、案外釣合がとれているのかな。
Mnemic のライブ動画を見たけど、やっぱ俺は今のヴォーカルの Guillaume よりも前任の Michael の方が声質もルックスも上回っているように思えるな。いや、 Guillaume も良さがあると思うけどさー。
今週は大学祭に二日連続で行ったりなんかしたもんだから、スタミナがいつもの週よりもヤバめ。なんか今日の時点でいつもの金曜と同じ程度に消耗してる気がする。