確かに「計算機」という言葉で修飾されるが、エンジニアってのは科学者である。
どーでもいいが、コンピューティング・サイエンスの上手い訳が思い付かない。コンピュータ・サイエンスが計算機科学だからって単に計算科学じゃ、大元のニュアンスが全然伝わってない気がする。
ちなみに俺はアジャイルだのウォーターフォールだのいった言葉には余り興味が無い。なんというか、トンネルの両側から見た景色についてあーだこーだ言ってるって印象があるんだよな、この手の話って。どっちにしたって細かいタスク/イテレーションの評価とか、ユーザとのコミュニケーションとか、中長期的なビジョンって必要じゃん。そもそもシステムと開発者の数だけ開発手法は存在するわけで、それをこうやって二分法で対立軸に持っていくのは不誠実じゃないかなあ。
ところで、そもそもソフトウェアってのは工学の対象になりうるものなのかってのは大学のころからずっと引っかかってる。工学の定義からすると、ソフトウェアは工学の対象でなければならないのだけど。というのも、工学ってのは他の理論系の分野の成果を元に実際に何かを作り出す学問なわけで、じゃあソフトウェアってのは工学の対象以外の何者でもないじゃん。
そういえば、大学ではあまり計算幾科学というスタンスでの講義が無かったように思える。つまりソフトウェア工学の基盤理論の部分があんまりプッシュされてなかったわけで、俺にはまだしばらくソフトウェア工学が理解できそうにない。
諸事情により漢方薬を処方されているのだが、これがえらいことまずい。ついうっかりオブラートを買い忘れてしまったので、この味覚がある生物に生まれたことを後悔したくなるような味の薬を素で飲まないといけない。最低だ、本当。
しっかしなあ。ドキュメントが用をなしていなくて (日本語のドキュメントは無いのもふざけてるが、どっちにしろ用をなさないだろう) プロプライエタリって、考えられる限り最悪だよ。それで動けば問題ないんだけど、時々バックスタブされるからな。その不具合の原因は不明、問い合わせても不明、というか現象の再現が不可能に近い。これじゃあ仕事にならんよ。
というかだな、俺は高い料金をぼったくってるソフトウェアの尻拭いなんざしたくねえんだよ。俺は金と知恵の両方を使う気にはならん (Windows は両方使わせるから嫌いだ)。
ふと気がついたことなんだが、「HELLSING」ってキリスト教の内ゲバなんだよな (ヒトラーは敬虔なクリスチャンだったらしく、ナチスのユダヤ人虐殺とその信仰心は無関係ではないだろう)。計算してやってるのかどうかわからんが、やはり平野耕太はとんがった感性の持ち主だな。