これはかなりピンと来るインターフェース。まだまだ改善の余地はあるのだが、俺の理想とするインタフェースは大体こういう感じ。また一つ俺の中で gedit の株があがった。
最近輸入物の食料品店で変なものを買うのにはまりつつあるのだが、今日は大失敗した。プリングルスの Salt & Vinegar 味を買ったのだがこれがもう最悪。酸味が強すぎてとても厳しい。買うんじゃなかった。
あとチェリーコーラが売り切れてた。アリエネエ。
げげ、 spam じゃねえメールまでフィルタリングされてやがった。もしかしてメール本文に URL が書かれていると問答無用で spam か? フィルタをカスタマイズしないとダメだなこれは。ていうか Opera なんて使ってるのが悪いのか? でも検索ベースのインターフェースは圧倒的に使い易いんだよな。
それでそのメールから引用なのだけど、
インターフェースの良し悪しは、指摘されるまでなかなか気づかない部分が多くて改善が遅れるのかもしれません
というのは本当にその通りで、第三者に見せたら「このインターフェースは子供の権利条約に違反している」というレベルのツッコミをもらうこともしばしば (大学時代に二回ほどグループウェアもどきを作ったが、二回とも俺の出したデザイン案がそのまま通ったりはしなかった)。インターフェースは本当に自分だけではわからないし、他人の意見を聞いても全然わからないことがある (ああ、全く聞かないのは論外ね)。
例えば大学時代の話なのだが、とある後輩が二人対戦のゲームを作ってきたことがある。そのインターフェースはあろうことか、プレイヤー 1 が画面右上で、プレイヤー 2 が画面左下というものだった。これは明らかに失敗したインターフェースだ。もちろんゲームのインターフェースデザインの慣習というのもあるし、プレイヤー 1 はホストなのでよりプレイヤーたちに近い側、プレイヤー 2 はお客さまなので遠い側という心理的な要因もある。いや、多分ね。
そしてインターフェースの改善が遅れる、あるいはどうしようもなくなる理由にアプリケーションの作りそれ自体が関係してくると思う。例の後輩はコードがかなり泥沼ってたらしく改善が不可能な状態になっていたが、インターフェースを改善しようとしたら根本からコードを見直す必要が出てきたってのは十分有り得る話だ。例えば Web アプリなんかで複数画面を立ち上げることを全く想定しなかったせいで、複数画面を立ち上げるとセッショントークンで問題が出るとかね。
だからインターフェースの改善というのはいろんな意味で難しい。そもそも誰かにとって使い易いインターフェースが万人に使い易いという保証は無く、むしろ誰かにとって良いインターフェースは他の誰かにとって腐ったインターフェースと考える方が自然だ。だからユーザが簡単にインターフェースを改善できる仕組は、今後絶対に必要になってくる。というか、それ以外に進化の方向が無いんじゃない?
ちなみにユーザが弄れるインターフェースってのは、例えば Excel やなんかのメニューバーをドラッグして動かせるとかそういうレベルの話じゃないからね。それは誰もが GUI プログラミングを行えるような世界が望ましいという話で、その意味でも gedit には期待している。