Diary?::2006-08-18

20:31

そういえば、「俺が死んだら墓は作らず葬式もせず、ただ海に返してくれれば一番良い」といったら、他の家族 (特に母親) からありえないと言われたことがあった。なんでこの選択肢がありえないのか、俺にはさっぱり理解できない。こっちの方がロマンチックだと思うし、何よりみんな揃って墓参りなんていうバカげた事をされずにすむ。そうでなかったら、大学病院に検体してもらいたい。どうせ死んだら単なるゴミなんだから、有効活用出来るときにしないとな。

そもそも俺が墓参りに行ってやるかと思う唯一の理由は、それしか故人の生きていた形跡に触れることが出来ないからなのだが。俺の祖父は自分の担当した裁判の記録やそれについてのエッセイを大量に書き残していたらしいが、それらは今では全て失われている。祖父の時代に PC とインターネットがあればと思うが、こればっかりは仕方がない。

というわけで墓を作る理由ってのは、その人が生きていた証拠を残すという意味合いが極めて強い。別の見方をすれば、他にスマートなやり方があるのなら墓を作る必要は無い。要するに墓としての Web サイト。俺が死んだらこのサーバはいつか消滅するだろうが、そのときは潰れることのなさそうなサービスに全データを移行すればいいわけだし、いっそ P2P ネットワークにぶん投げても良い。だからさ、もうみんな面倒な事は止めないか? それに俺としては、俺の死後に墓参りなんかされるよりも自分の文章が読まれることの方がずっと嬉しい。

……などということを説明しても、全く理解しようとしないのだよなあ、あの連中は。こっちは故人を偲ぶ気持ちまでは否定しないと譲歩の姿勢を見せているのに、向こうは自分の主張が全部通らないとダメだと思ってやがる。これだから変な宗教にはまっている連中と話をするのは嫌なのだ。

22:18

JavaScript の腕前が上がっても、俺個人にとっては全く嬉しいことでは無い。

22:36

とりあえず電話口で散々罵ったら、明日俺は実家に戻らなくても良くなった。良かった、こんな精神状態で家族に会ったら殺人を犯しかねないからな。

それにしても実家に居たころの俺の健康状態の最悪さと、ちょっと用があって戻ったら酷い目にあったことを考えると、俺は本当にあの家がダメなのだなあ。自然環境も家族も何もかもが俺にとっては違和感だらけで、そんなところでよく生活できていたものだ。

23:50

ヤクザ撲滅への道。

これをやるだけでヤクザの力は相当削がれるはずだ。綺麗事でヤクザは潰れない。何故なら綺麗事の盲点である汚れ仕事を請け負うのがヤクザの重要な一面だからだ。だったら一旦これまでの道徳観を捨てて清濁入り乱れた世界にすれば、必然的にヤクザは住みにくくなるだろう。

だが残念な事に、この考えは全く受け入れられない。多くの人にとって、自分が不道徳だと感じることは存在してはならないことのようで。俺は自分の気にくわない部分も含めて世界が成り立っていると考えているし、自分が自分の憎悪している対象に事実上依存していることも知っている。

ちなみに俺のいうヤクザの撲滅はヤクザの役割を表社会に譲渡しろといっているだけで、実のところプラスマイナスはゼロだろう。汚い部分を公開するか、ヤクザに押しつけるかの違いだけだ。

Written by Kuwata Chikara
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