果して優れた創作者と優れた評論家は二律背反な存在なのか。ここでの創作は一次創作に限ったものとして、これは正しいのか。じゃあ二次創作にまで定義を広げたら?
創作者でいたくて評論が致命的に苦手な俺にとっては、そうであれば都合がいいのだけど。
執念深く typo や誤変換を調べてくるあなたは大変素敵な方だと思います。だってこんな酷いキチガイに貴重な人生の欠片を使ってくれるのだから。
※「酷いキチガイ」というフレーズによって文章の雰囲気が明らかに変わっていることに注目。
実のところ、クラスベースよりもプロトタイプベースの方が概念的にはしっくりくることもある。なんだけど、どうもプロトタイプベースの言語には日常的に使ってみたいと思わせるものがないのだよな。別に愛でるだけなら実用性が感じられなくても問題ないからどうでもいいっちゃそうだけど。
心の底からどうでもいいが、 Python で無理矢理プロトタイプベースっぽいことをやろうとするとこうなる。ちなみに想定しているのは Javascript とかその辺。流石に Io のコードを真似るのは物理的に不可能だった。
class prot(object):
def set(obj, method):
setattr(obj, method.__name__, method)
def add(self, method):
import new
self.set(new.instancemethod(method, self, self.__class__))
def instance():
self = prot()
def foo():
print "foo"
def setx(x):
self.x = x
def getx():
return self.x
self.set(foo)
self.set(setx)
self.set(getx)
return self
def bar(self):
print "bar" * self.getx()
o = instance()
o.foo()
o.setx(10)
print o.getx()
o.add(bar)
o.bar()
うわー、すげー意味ねー。大人しくクラス使えよ。
余談だけど、たまにこういうアホなコードを書くのはとてもいい気分転換になる。
何で俺が評論が大の苦手かっつーと、漫画も音楽も全然量を捌けないからなのだよな。俺は未だに W.A.S.P. の "The Headless Children" をかけるときがあるし、「スプリガン」を手に取ることもしばしばある。気に入った奴をずっとリピートするタイプなわけで、どう考えても批評家には向かないよ。
別に俺は批評家になりたいわけじゃないから、それはどうでもいいんだけど。問題なのは、他人に自分がいいと思ったものを勧めるときに言葉が出てこないこと。別に俺一人が布教に失敗したからって世の中の大勢に影響があるなんてことは絶対とっていいぐらいありえないが、でも少し悔しいのも事実だ。
ちなみに今までで一番宣伝に成功したケースってのは、友人に Sentenced を勧めたとき。問答無用でサンプル音源を聴かせたら成功した。ってあれ? じゃあ俺下手な事をいったり書いたりしない方がいいんじゃ?
全力でホイップクリームを泡立てたら疲れた。普段はあんまり使わない筋肉を使うからかな。