Diary?::2006-07-20

00:59

ここ数日、どういうわけだか生きる気力が湧いてこない。放っておけばまた回復するだろうし、回復しなかったらしなかったで別にいいというか、そんときゃもう何もかもがどうでもよくなってるだろう。

ていうかここ数日の仕事が壊滅的に面白くない。いつも仕事が面白かったら誰も苦労しないと思うが、それでも詰まらんものは詰まらん。

01:03

どうせお前等はサンボマスタージェネレータだけ見て帰ってくんだろ! (アクセスログを解析した結果)

06:28

ここまで自分の精神のテンションが天候に左右されるとは。

07:26

そして今日も鮭ふりかけを回避する。

19:30

たまに他のサイトからのリンクで自分の書いた文章を読み返すことがあるんだが、明らかに書かれた日時と俺の記憶の中の日時が食い違っている。そして必ず、俺の記憶の中ではもっとずっと前に書かれたことになっている。

これが意味することってつまり。

追記: 何か書こうと思ったけど、何も思い付かんかった。

21:58

セブンイレブンのよくわかんねーキャンペーンぽいもので豆乳が当たったが、こういうのをありがた迷惑というんだ。つまり俺は豆乳が大嫌いってことなんだけど。

そういや豆乳と何かを混ぜて作る豆乳ローションで鬚が薄くなるって話を聞いたことがあるが、あれって本当に効き目あるの? 科学的な証拠がない限りそういうのはやらねーことにしてるが、効果が本当にあるのだったらやってみてもいい。

22:10

仕事では Solaris を使う羽目になっているんだが、 GNU ものに慣れた身には違和感を感じるときがしばしば。今日も上司が「grep に -r オプションがねえんだよなあ」と言っていた。別に全ての UNIX 系列の OS が同じものを採用しろだなんて言わないが、でもこういうところがたまに苛つくのも確かだ。

23:59

信じられないことだが、 vi が使えないからって一行程度の修正でもわざわざローカルで修正 + FTP で作業している人がいるらしい。うわー、それすげえ効率悪いよ。

もっとも、 vi なんて使ってられるかという意見も全く論外ってわけじゃないんだが。確かに慣れるまでは大変だし、ユーザにあまり過度の訓練を強制するソフトウェアはダメというのも理解できる。でもさあ、頭を少し切替えれば vi のキーバインドって基本的に悪くないと思うんだけどなあ。要するに、同じテキストの編集が目的なのに、ルールが全然違うから戸惑ってしまうのだな (空手家が K-1 で苦戦する理由。空手とキックボクシングではパンチやキックの技術が全く異なり、 K-1 はキックボクシングベースのルールだ。そして空手の技はパンチとキックだけではない) 。

vi に限らず、それを使うには根本から考えを変える必要のあるソフトウェアってのはそれはそれで正しい。少なくとも、そういったソフトウェアは特定の何かを解決するのに特化しているだろうからだ。例えば俺が Perl を Python ほど上手く書けないのは当り前で、それはつまり俺が Perl のルールをよく知らないからだ。さらに俺は Perl の思想が好きではない。

だから Ctrl + S で保存されるのが当然 (いやむしろマウスでメニューから保存を選ぶのが当然?) の人が vi を使うには、テキストエディタに対する考えを一旦投げ捨てて vi のルール (というか思想/精神) を理解することから始めなければならないだろう。それは最終的には「エディタで文書を書く」という一つのライフスタイルを変えることになるわけで、それは今まで赤道直下に住んでいた人を北極圏で生活させるのと意味的には同じだ。

だから前述の vi を使わない人ってのは、北極圏で熱帯の恵みを探して挫折したのかなーと、ふとそう思った。でもそれはマヌケな話といえばそうだよな。郷に入りては郷に従えって言葉があるように、やはり環境にあわせてライフスタイルを変えるぐらいじゃないとやっていけんよ。

だから俺はいい加減 Solaris にスタイルをあわせないとな。

Written by Kuwata Chikara
Creative Commons