Diary?::2006-07-09

00:28

ギターの弦交換で何が面倒って、やっぱチューニングを合わせ直すのがかったるい。張り替えたばかりの弦ってまだ全然伸び白があるから、引いてるうちに弦が伸びてチューニングが狂ってしまう。だから張り替えたらすぐに弦を傷めない程度に伸ばす必要がある。でもそれが足りないと、チューニングを合わせるのにちょっとばっかし苦労する。

15:20

テスト用のスタブを簡単に差し替えられるのが売りとかいわれてもなあ。結局一番肝心なのは DB への要求が集中したときにどうすんのとかロールバック処理のときにどうすんのとか、スタブじゃ対応できない (あるいはそこまで作りこんでたら時間が足りない) 部分なのだよな。少なくとも俺に回ってきてる仕事は本番の環境に限りなく近くないとやってられないってか、意味がない。そもそも検証用のコードは書かないといけないんだし。

俺はやたらと分離したがるパラダイムには疑問を持っていて、それは結局見通しが悪くなったら元も子もないじゃんていうことなのだけど。例えば AspectJ はクラス側からアスペクトが全く見えないのだが、そういうところでロギングをするのはまだしも (いや、俺はそのレベルでも否定的なのだが) トランザクションなどのリソース管理までアスペクトに持たせるのって保守性の観点からはどうなのだ? トップからもボトムからも見通しのよいシステムが保守性の高いシステムだとしたら、 AspectJ は絶対に何処か間違ってると思うんだが。そもそもアスペクト指向なんてのはファーストクラスの関数で置き換えられるというか、何だか脱線してきた。

俺が何をいいたいかというと、ソースコード以外のファイル (もっというとターゲットの言語以外のファイル) は少なければ少ない程いいんじゃないのって事なんだが。プロパティファイルは仕方がないとしても、設定ファイルでどうにかしすぎるのはあんまり良い傾向じゃないよな。柔軟性ってのはそんなところで持たせるべきものじゃないような気がする。

16:06

VIP ブログ騒動とか各種のアンチ 2ch とかいろんなものを見ていて共通して感じることは、やっぱ私怨に大義名分を混ぜ込むのってバカのすることだよなってことだな。

個人的な怨恨はあくまでも個人の範囲で報復行為に出るから美しいのであって、そこに大義名分がないと何も出来ないってどれだけケツの穴が小さいんだ。自分がむかついた対象を社会の害悪に仕立てあげないと気の済まない人間ってのは、本当に見ていていらいらするな。

たまたま怨んでる相手がパブリックエネミーな場合もあるだろうが、実際には本人の思い込みというかそいつの社会が狭いだけなんじゃねえのとも思う。

18:10

今更ながらアラン・ケイが描くパソコンの未来像を読んだが、やっぱこの人は凄い。未だにこの人以上に PC の将来や次の世代への教育なんかについて考えている人ってのはいないんじゃなかろうか。 Python の作者の Guido van Rossum も凄いと思うが、こっちはコンピュータアーキテクチャからその上のソフトウェアの末端まで通して「ユーザに優しいコンピュータってなんだろう」「コンピュータを使って何かを学ぶってどういうことだろう」「じゃあそれらを実現させるにはどうすればいいんだろう」ってことを考えてるからな。その結果生まれたであろう Smalltalk は全然好きじゃないが、この人の言ってることはまったくもって正しいと思う。

一番心に残ったのは次の部分。

例えば、もしあなたが子供に、何か分解できるものを与えたとするならば、子供は喜んで分解作業に夢中になることだろう。子供は好奇心の塊だから、必ず興味を示すはず。ところが、現在のテクノロジーに目を移せば、分解できるものがあまりに少ない。子供が大好きなゲーム機も、それを分解するわけにはいかないし、パソコン自体も分解しにくい。ソフトウエアについても、分解しやすいようには設計されていない。子供には、テクノロジーの意味がさっぱりわからない。
今の世の中は、あらゆる機能が提供されている。ところがその機能を実現しているテクノロジーの断片と、その機能の関係に関する因果関係や必然性を考える機会が少なくなった。「これは、どのような仕組みで実現されているのだろうか」と問いかける人が減っている。

この分解可能ってのは本当に重要で、分解できるということは自分でそれをコントロールできるということだ。そしてコントロール出来るという感覚はユーザビリティーや学習効率に密接に関わっている。例えば Windows はどう見ても分解可能だとは思えないが、 Linux や BSD ならまだ目はある。まあ Windows にしろ PC-UNIX にしろ専門教育を受けてそれでもダメな人が大量にいる時点で分解可能とは言えないのだが、それでも多少は UNIX の方が「こういう仕組でこうなっている」ということを知りやすい。少なくとも俺はそうだったわけで、 Linux をメインで使っているのはそれが原因だ。

OS 以外のソフトウェアはどうなってるのだろう。相当数のものがブラックボックスの上にブラックボックスを重ねた、ぶっちゃけ酷いソフトウェアに思える。実はもっと見通しのよいものが出来るんじゃないかと俺は思っているのだが、なかなかそういうことにはならない。俺がただ単にバカなだけかもしれないが、もっと改善できるところが腐る程ありそうなのも事実じゃないのか。

だから今後必要になってくるのは分解できるソフトウェア (ということはフリーソフトウェアであることは前提条件だ) ってことになり、最大多数の人が分解可能であるためにはそのための言語 (数学とハードウェアアーキテクチャから程よく離れ、それでいてブラックボックスでない言語) が必要になるだろう。じゃあその言語って何? それはまだわからない。

とりあえずリンク先の話と現状を突き合わせて考えると、コンピュータの世界の未来はとてつもなく暗いってことになる。今のコンピュータの世界は情報産業の世界にいない人にとっては良く見ても錬金術、悪く見れば悪魔崇拝の儀式だからな。プログラミングという行為がもっと一般的 (それは多くの人が因果関係を理解できる、つまり科学的に捉えられるような状態) にならない限りは未来は開けないと思うのだが、よくよく考えればそれ以前の問題だって事に気がついた。それは相当数の人が決して科学的に物事を考えてはいないということだ。はっきり言って「水からの伝言」なんてコペルニクスの時代でも「何ぬかしてんだこいつ」と思われそうな妄言なのだが、それを信じるバカがどれだけ多いことやら。科学的な思考それ自体が人間にとって不自然なものだとしたら、世界の行く末はそもそも最初から暗いということになる。

流石にそれは有り得ないだろうから、多分必要な事は教育のスタイルそれ自体の大幅な変更になるのだろう。でもそういうことを始めると、一部の (だと思いたい) バカな保護者がいちゃもんつけるんだろうな。アメリカの ID 論者は極端な例だとしても、世の中には想像を絶するバカがいるものだからな。そして信じられないことに、明らかに子供に対して有害なバカにも人権は認められている (子供を虐待したり変な宗教団体につれていくようなチンカスには人権なんざ必要ないと思うんだが) 。

オチが思い付かないので投げっぱなしジャーマンで打ち切り。

19:18

畜生、家を出る前は殆ど降ってなかったのに、何で店から出るころになって本降りになってるんだー。

20:57

風呂に入ってるときに宅急便が届くとテンパるよね。それで何を注文したかっつーと、

なのだが。

石川賢といえば投げっぱなしなオチという評判を聞いてはいたのだが、この漫画はえらい綺麗にまとまってる。というか、凄い完成度。細かいネタからラストのオチまで、ピンチを切り抜けたと思ったら新たなピンチが訪れて、その度に物語の全貌が見えてくる。

あと武蔵が使った決め手があの「魔界転生」で武蔵が食らった手と同じってのも心憎い演出。本当、細かいところまで上手い人だ。これは他の単行本も揃えた方がいいのか、そうなのか?

23:19

なんか「本日のトホホなプログラム」やら「こういう上司はうんこたれ」みたいな奴を読むと、今の職場はまだ大分ましというか、相当ましな部類なんじゃねえかと思える。いやまあ、実際にかなりましな部類だと思うのだが。

ただなあ、空調がなんか俺のバイオリズムとあってなくて体調を崩しそうなんよなあ (っていうか崩してる。喉の調子が最悪) 。それが非常に残念。まあそのうち体が順応しそうだけど。

Written by Kuwata Chikara
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