「自信を持て」という言葉をわりと良く聞くのだが、ちとどうかと思うな。自分を信頼すると書いて自信と読むのだろうが、自分を信仰すると書いても自信になるんだが。
信仰と信頼がどう違うかというと、それは根拠の有る無しだろう。信仰というのは殆んど無根拠で直感的なもので、信頼というのは疑って疑って疑い尽くして、疑うことが出来なくなって初めて生まれるものだろう。
もっとも、自分を信仰する以外に信仰を持てない人ってのもいるのだろうけどね……。
Python はたしかに一見すると文法的な自由度が低いが、だからなんだってんだ? 同じ事を複数の方法で書けるからって、それがどう嬉しいんだ? それよりおたくの言語は高階関数が書ける? メタクラスがある? クラス宣言の直下に if 文とかを書ける? モジュールをオブジェクトとして使える? ジェネレータがある? メンバへのアクセスを簡単にフックできる?
実際の話、アスペクト指向もアノテーションも前述のような機能 (っていうか高階関数だけでもいいかもしれない) が言語に備わっていれば (完全かどうかはまだわからないが) 可能であり、わざわざそんな言語の機能を拡張しなくてもいいはずだ。
だからきっと、この世界には二種類の人間がいるのだろう。言語それ自体のコアに必要な機能を全てぶち込みたい人間と、言語のコアはすっきりさせておいて、その言語の機能を使って応用的な事をしたい人間と。これもやはり程度問題で、例えばいくらなんでも Python からクラスシステムを取っぱらわれたらかなり困る。でも AspectPy なんて拡張をしなくても、似たような事は出来るんだよな。
これはどっちの言語が真に望ましいかという話では無く、あくまでも俺の好みなのだが。やはり Java みたいな言語は好きになれないのだよな。
俺の部屋を俺以外の誰かが弄ると、必ずその直後に何か大変な事が起きるというジンクスがある。
ところで母親が俺の部屋を勝手に掃除した後に、 6 万円ほど入った封筒が行方不明なのだが。
現金にしろ書類にしろ、俺はこれまでの二十二年間まともに管理できた例がない。俺にできるのは
のいずれかであり、それ以外の事は全くできない。整理整頓というのは俺の頭の中には存在しない。だから今回に関していえば即座に銀行の口座に振り込んでおくべきだったのだが、土日で良いやと思ってほったらかしておいたのが不味かった。
もっとも、まだ確実に無くなったと決まったわけでは無いのだが……。
見付かったー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ……ごみ箱の中から。
……我ながらありえないと思うが、やはり今のゴチャゴチャした環境をなんとかしなければいけないし、何よりこの悪い意味でレイジーなところを直さなければならんよなあ。何しろ、高校の時の修学旅行の資料が大学四年の 11 月になってバッグから出てくるという事もあったからなあ。
本当、プログラマになってよかったと思うよ。だって大事なデータ (ソースコード) は基本的にハードディスクの中だから。これが例えば数学や物理の世界にいっていたら、貴重な研究メモを紛失というのが常態化していたに違いない。