身も蓋もないことを書かせてもらうと。泣ける作品って抜ける作品という売り方と全然変わらないんだよな。別に俺はポルノ作品を否定しない以上、感動物も否定はしない。だが俺は感動物という売り方はポルノのそれと同質だと思っている。
これは多分娯楽全般の宿命だとは思うのだけど、結局そういった作品というのは (作者が意図しているかどうかはともかく) 人間の感情をパッケージングして売っているわけで、それって商売としては正しいのだろうけど作品の解釈を画一的に売り手が決定するってのはどうなのだろう。
俺はヘタクソながら書評の真似事みたいな事を書くときがある以上、そういう感情のパッケージングをしているかどうかには自覚的でないといけないよなあ。少なくとも、自分が感動したからって他の人も感動できるという書き方はしたくないな。ぶっちゃけた話、自分の好きな作品をポルノみたいに扱いたくないってことなんだけどね。というか全く同じ事が萌えにもいえるな。
あと俺はこの作品で感動したってのは俺はこれで抜いたってのと同義なわけで、そう考えると自分の性癖を暴露しながら生きている人が相当数いるってことか? まあ全然悪いことじゃあないと思うけど。
それと作品に対して感じたことをあまりに押しつけがましく表明すると、自分の中からその感情が抜け出ていってしまいそうというのもあるかもしれない。だからあまりに感動感動言ってる人は、案外感動が自分の中に残っていないのかもしれない、と思う。
いつも Python ってなんて素晴らしいんでしょうというスタンスの事ばかり書いているので、たまには Python の気にくわないところを書いてみる。とりあえず対象は 2.4 ってことで。
他にもあるかも。まあいいや。