いつだか作家買いと作品買いについて書いて、そのときソーシャルブックマークは前者を促進させるようなシステムだと書いたけれど、よくよく考えたら RSS リーダーもそれに近い所があるよな。サイトによっては更新があれば全部読むわけだから、それって RSS リーダーで個別の記事をチェックする必要が無いような。
だから RSS リーダーで読んだ方が良いところってのは、専門技術系とかニュースサイトとかで、一般的な日記やエッセイの類はアンテナでも問題ないというか、むしろそういう切り分け方をした方がいいような気がしてきた。というわけで、近い内に RSS リーダーとアンテナの大幅な整理をするかも。
でも自分がサイトを作る上では、出来るだけ RSS を出力したいというのもある。 RSS の何が便利かって、統一されたフォーマットでサイトの更新状況を記述できる所が便利なわけだから。
ああそうか、こういうときに RSS リーダーのカテゴリわけを使えばいいのか。いやでも今更面倒だしなあ。
最近修行をサボっていたせいか、一時間ばかり卓球をやっただけで筋肉痛になっちまった。畜生。
それはともかく、論文制作に追い込みをかける時期なのでちょっとした苦労話というか愚痴を一つ。
ソーシャルブックマークにしろ自前で出したメタデータにしろ、リソースの分類にはまともに使える範囲でなら以下の方法が考えられる。
これは一長一短で、前者はおのおのが適当に分類しても同じような名前になり易いから、アバウトとは言え分類方法の相互運用性が確保できる。後者は一つのサービス内でなら別に問題ないけど、複数のサービスを跨ることが難しい。
で、今回は良いアイディアが思い付かなかったから前者をデータの分類方法として採用したのだけど、思わぬ落し穴が。サービスによって全然書き方が違うじゃねえかこの野郎!
あるサービスでは分類一つにつき一つの dc:subject を付けているのに対して、別のサービスでは複数の分類を空白区切りで一つの dc:subject に突っ込んでいる。別のところじゃカンマ区切りだったりもするし、もっと別の書式のところも探せばあるだろう。やはり文字列による分類はエレガントでは無い (ちなみに taxonomy モジュールは使ってない所が結構あった) 。
なんだかんだ言って URI で識別ってのが一番処理し易い。でも複数のサービスが相互運用出来るようになるには、世界中の誰もが使えるタグ付け専用 URI が必要になるよな。って誰がやるんだそんなもの? W3C にやらせるか?
とりあえず過去の資産との整合性を取るには、
この 3 つを実装したものが必要になるのだろうけど。全ての業者とかが足並みをそろえるのはほぼ不可能だろうから、理想的な形でのセマンティックウェブへの道は、チベットの夜明けよりも遠いということになるだろうね。それでもまあ、いろいろな遊べるサービスが出てきただけでも十分成功だとは思うけどね。
あー、論文の文体もこういうフランクでキチガイな文体でよければ、いくらでも書けるんだけどなあ……。
超どうでもいいけど、 Linux が普段の作業環境ってだけで変な目で見られるのは勘弁してほしい。俺はあくまでも自分にとって一番使い易い環境を求めたら Linux になった、ただそれだけなのだけど。
まあ、きっと多くの人は最初の環境が最後の環境になるのだろうけど。選択肢の数が少なければ少ない程、きっと楽になるのだろうしね。俺は自分の事を修行僧タイプだと思っているから、あまりそういう道は選びたくないのだけれど。
水からの伝言が偽科学であることは、既にいろんな人が書いているから道徳方面から考えてみたけど、あれって道徳の材料としても問題があるよな。科学を装った部分を取っぱらうと、どんなものにも心があるみたいな話かもしれないけれど、それってつまりはその心は人間の心が基準なわけだろう。それが道徳的にいいかどうかってのは主観の問題だろうけど、俺の目には極めて薄汚く映る。
それにしても驚くべき事は、水からの伝言を信じている連中が多いって事。これは下手なホラーよりも恐怖だよ。だってそいつらはフィクションの存在では無く現実に存在し、もしかしたら親や教師で、そうだとしたら何も知らない子供達にデタラメを真実であるかのように教えているのだから。まるで伝染病だ。
時々こういうバカ相手に啓蒙活動をされている人達がいるのだけれど、本当にその姿には頭が下がる。俺にはきっと無理だろう……きっと 2, 3回やり取りをした後、諦めてその場から立ち去るだろうから。
そういや、(神秘やオカルトとしての)宗教や偽科学に対する俺の気持ちを的確に代弁している歌があった。Machine Men の "The Beginning of the End"
I've drawn a dividing line between tou and me Don't try to convert me to twisted state of mind One life, one mind and symptoms of insanity
時間が出来たら、メタルの歌詞の評論のコンテンツを作ろうかなあ。
うへえ、今さっきのニュースで実の母親に監禁されていた少女が保護されたとかやってたぞ。今 18 才だっていうことと、学校に行ったことが無いという事実からは 10 年以上は監禁されていたわけだが。誰も気が付かなかったのかよ!
どうもこれは行政側の怠慢がかなり大きいというか、今テレビで受け答えしていた野郎、ああいう責任感の欠如した蛆虫野郎がいるからこういう事件が悲惨な結末を迎えるんだよ。
あと近隣の住民も、気が付いていながら面倒を避けるために見て見ぬふりをしていたくさいな。どうにも嫌な感じだ。
才能と努力のどっちが重要かなんて議論はバカバカしい。自分の才能を見出し、そこに出来るだけのエネルギーを注いだ奴が勝つに決まってる。才能と努力は車輪の両軸で、どっちが欠けても上手く行かない。
同じような事は理論と実践にも言える (というか一昨日あたりに書いた) し、対照的な存在に対する A or B の比較論というのは大体の場合、これが当てはまると思う。文系科目 vs 理系科目とか。
もしかしたら、こういう論争をしている連中ってのは慰めが欲しいのかもしれない。もしもそうだとしても、俺にはそういう意味での慈悲の心なんざありゃしねえが。