俺は小銭が余っているときに限っては、お釣りをコンビニ募金に回すことにしている。俺がほんの十数円ばかり募金して世界が変わるわけでは無いだろうけど、やらねえよりは多少はましだろう。募金というのは金額の割に精神衛生にはいいので、俺にとってのお布施みたいなものかな。お布施よりはずっとまともな使い方だと思うけど (お布施を要求するような宗教組織は否定する立場なので) 。
ただし、俺も見境無く募金しているわけでは無い。基本的に被災地支援みたいな奴は出来るだけ優先順位を上げて、そうでなければ自然保護とか動物愛護の団体以外。俺は「森林を守ろう」は胡散臭く思っているし (森林の持つ保水力とかの環境調節能力って本当なのかよ) 、「動物の権利」に至っては人間の理屈で動物の幸不幸を決めているようなもので、心の底から反吐が出る。
ところでチャリティーとかを偽善だっていってバカにする連中がいるけど、そいつらは本当に考えが浅いよな。例えばチャリティーコンサートをやった場合、
見事な三方一両得なわけで、たまにやる分には悪いことじゃないと思うね。というかさ、売名行為だろうが何だろうが別にいいじゃねえか。見返りを要求することは至極真っ当なことだと思うぞ。
そもそも偽善というのは、相手のメリットとなるように見せかけておいて実は相手が被害を被るようなものじゃないのか。身も蓋もない書き方をさせてもらえば、偽善というのは無自覚な詐欺行為だろうね。
たとえどんなに俺のストライクゾーンど真中なテーマであっても、段落一切無しでだらだらと書き綴ってある問題外な文章は読む気がしない。
俺は今の教育で圧倒的に欠けているものの一つに文章を書く能力の育成があると思っているけど、そもそもこれは教育できる物なのかね? 日常的に文章を書いていないと、ただ授業で聞き齧ったり課題を淡々とこなすだけでは身に付かない気がする。
というかこれは大学のプログラミング演習で感じていることと同じだ。俺は理論と実践は車輪の両軸で、どちらが欠けても上手くいかないものだと思っているのだけれど、(散々言われているかもしれないけれど) 要するに理論ばっかりで実践が伴っていないのが根本的な問題なんじゃないのかと。
ただ、「理論を実践」という理論を実践するには、やたらとコストがかかるんじゃないか。大学のバイトとか部活動でプログラミングを教えている上ではそう感じる。少なくともそういうスタイルを取るには 1 クラスあたりの人数をかなり絞る必要があるだろうし、それって物理的に不可能な場合が多そうだ。
じゃあ結局どうすればいいんだ? 現状維持か? いや、現状維持ってのはとどのつまりは緩やかに腐っていくのと同義だ。何か思考の袋小路に入りそうなので投げっぱなしで終了。
最近 KOF 11 をちょこちょこやっていたり (大学にいく途中、 50 円ゲーセンがあるので) 。相変わらずシステムが壊れているとか、バランスが悪いとか、キャラデザインがあっち方面に行きすぎとか、不満が多いゲームだ。
というかね、何でオズワルドみたいな渋くて格好いいキャラを作れるのに、桃子を始めとした媚びキャラを作るのかと。影二とダックキングを入れたのは大いに評価できるけど、どうしてジェニーなどという媚びキャラを突っ込むのかなあ。
システムに関しては 99 -> 2000 の悪夢の再来に近い。要するにコンボ推奨システムで、いわゆる超絶コンボに興味の無い俺には割とどうでも良い。というかコンボゲーってシューティングにおける弾幕や難易度のインフレみたいなものじゃないのか?
俺としては NBC の方が大分面白いんだけど、こっちは 50 円ゲーセンには置いていないのが痛い。だから AW ネットはダメなんだよ。地元でもろくに対戦がされていないっぽいし、諦めた方がいいかな。
あとプレイモアはいい加減、ボスキャラを勝てる気がしない強さにするのを控えた方がいいと思うね。カプコンの場合はまだ正攻法で勝てる余地があるのが多い印象だけど、プレイモアのはちょっと。特に今回の KOF のボスキャラは酷い。かなり運の要素が強くないか? 俺はラルフをリーダーにしてないと勝てる気がしない。
実は俺の論文の内容というのは、実装方法は違っていても似たような奴が現存する。方法論が違うってだけだ。
俺がやろうとしていることは検索エンジンの検索精度の向上で、例えば「おおきく振りかぶって」で検索すると BL 系のページが引っかかるだろうけど、それは除外したい (あるいはそれ系のページだけが欲しい) と思った場合があるとする。俺はそういう欲求に応える手段として、ソーシャルブックマークとかページ自体に埋め込まれたメタデータであらかじめ分類して、特定のタグに属している/属していないで検索結果を絞りこむという奴を作っている。
ぶっちゃけ自然言語処理で同じような事をやってる所があったし、メタデータ検索は目的が違っても存在する。最近では Google がやらかしたクリエイティブコモンズの検索ってのがあった。要するに俺の論文としての新規性はかなりアヤシイ。
というわけで、論文のかなりの部分が問題点と今後の発展についてで終わりそうな予感だ。出来れば後輩に研究を引き継いでもっとましな物に仕上げて欲しいのだけれど、今の 3 年生はほぼやることが決定しているらしいということ、俺が使っている言語が Python だということ (最近、俺は大学で唯一の Python 使いでは無いかという疑惑が浮上中) 、その他諸々の理由によりかなり難しいようだ。
カーペットなんて嫌いだ、滅んでしまえ。理由? 今さっきカーペットの上にインスタントコーヒーをぶちまけたからだ。以上。
ところで、いい加減俺は適当なファイル/ディレクトリ名に "test" "misc" などと付けるのはやめた方がいいような。何が不味いって、時々あれはどこにあったっけと思ってディレクトリの中を走り回る羽目になるのが不味い。というか面倒。
こんどからは適当なファイルは "misc" 以下に置いて、ファイル名は制作日にしようか。いや、それは何かバカらしいな。ローカルで運用するためのデータベースでも作ろうか。テキストデータだけが検索できれば全然問題ないので、あっさり作れるはず。でもそこまでする程の物かなあ。
俺が決してこの日記にコメントやトラックバックを付けない理由の一つが、「全てのブログはコメントとトラックバックを備えているものだ。そうでなければその作者は人間のクズか卑怯者」という主張をしているバカたれの仲間とみなされないための工夫だ。まあそれは冗談で、実際の理由はキチガイ避けと内輪避けと spam 避け。
どうでもいいけど、俺が大嫌いな Web 日記とかブログのパターンというのは毒にも薬にもならないことを無個性な文体で書き綴るというものだ。そういう意味では、上記のようなバカたれは十分毒か薬になることを書いているのだから、意見が合うかどうかとは全然関係ない所で多少は好意的に評価したいと思う。
俺が好きなページってのは、別に物凄い大風呂敷 (例えばブログで真のジャーナリズムとか) を広げることなく、ひたすら自分の興味のあることとか思い付いたことを狂ったように書いているところだ。文体が芸術的にぶっ壊れていたりするとよりベター。
ブログツールの流行でいろんな人が出てきたかも知れんけど、相対的にキチガイの数は減ったよな。
世の中のノイズを少なくするために、俺はこの日記モドキが検索エンジンに引っかからないようにするべきかもしれないと考えたが、俺の主観による「役に立つ」が他の人の「役に立つ」と同一なわけがないので思い留まる。
そう考えるとやはり検索エンジンのパーソナライズというのは必要で、例えば個人的にダメなサイトを検索結果から弾くために、手軽に URL に対するレーティング (効果が及ぶ範囲はその人個人だけ。そうしないと妨害行為が横行するから) を行えれば、もっとまともな世界になるんじゃないか。
ただ、その手の情報を検索エンジン側が独占しているというのはちょっとどうかと思うので、例えば検索エンジンからの情報をクライアント側でフィルタリングというのが必要になる。出来れば検索エンジン側が処理しやすいような形式でデータを出してくれればいいのだけれど。
もっとも、フィルタリングを行う仕組ってのは結局は上手くいかない気もする。少なくとも、俺はそういうのが成功したって話は聞いたことが無い。
404 Not Found のページによくわからない画像を貼り付けるセンスの持ち主が嫌いだ。それ以上に、 404 Not Found で妙なページにリダイレクトさせる所の方が大嫌いだ。
アクセスログを見て思ったのだけど、 I Know の "Comaneci_bot" という UA 名はどうかと思う。俺なら絶対に付けないというか、 "i-know crawler" とかじゃダメなのか? こういう名前はわかり易さ重視でベタにするものだと思うのだけど。
俺が何をやらかしたかは察しろ。