Diary?::2005-11-30

00:22

唐突だけど、俺はそれしか出来ないというタイプの人が好きだ。

付け加えるなら、謙遜でも格好付けでも何でもなく、心の底から自分はそれ以外では無能だと思っている人が。

そういう人って実は他にも才能があったりとか、割と他の生き方をする能力があると思うのだけれど、本人はそれに気がついていない、もしくは心のどこかで強烈にそのことを否定していたり。

結局これは「ゆくところ」の小泉の名台詞、 "お前の劣等感 好きだよ" に行き着く気がする。出発点もベクトルも全然違うけれど、着地点は多分一緒。

11:49

道具と使い手を混同する連中とは議論したくない。というか、議論にならない。例えば:

とかね。これらは割とそういう泥仕合になりそうな話題の気がする。

大抵の場合、自分に取って都合の良いバカを想定して批判する。それじゃあダメだよ。少なくとも自分と同程度には賢い相手を想定しなければ。

裏を返せば、自分が否定したい道具の使いかたに関して、そういう腐った使い方しか思い付かないということでもあるだろう。例えば軍隊を持つと軍国主義に陥ると喚いている連中は、国防とか抑止力なんて考えは持っていない。軍隊を持ったら戦争しないといけないと思っているのだろう。勿論、フールプルーフに付いての議論というのは必要だけれど、それは道具を否定するために行うものでは無いし。

そして道具と使い手を混同するような批判を行う連中は大きく分けると 2 つのパターンになると思う。

俺の目に付く範囲では、後者のパターンが多いように思える。

同日 12:00 追記。使い手の性質を全く考えない道具は、それはそれでダメだ。

12:58

大学の先輩に「公開するインターフェースに手を入れて後方互換性が無くなったのなら、名前を変えた方が良い」と言われたことを思い出す。確かにユーザは俺一人だけど、この先どうなるかわからんしなあ。 Subversion なら履歴を保存したままコピーできるので、開発中の SSD 最新版 (もはや別物になりつつある) はいっそ別プロジェクトにしてしまおうか。その方が混乱しないだろうし。

でも、そうするとなると新しい名前を考える必要がある。 SSD は Simple Structurizing Document の三文字略語だったけど、さてどうしようか。 Markdown みたいな気の利いた名前がいいのだけど。

同日 16:00 追記。 Textrix という名前はどうだろう。

16:20

たまに複数のブログを使い分けている人がいるけど、俺としてはあまりそういう情報の分散はして欲しくないかな。

別にオタクな事を書いた次のエントリーで小難しい学問を始めたっていいじゃねえか。むしろ俺はそのエントリーの間に存在する思考の転換とか、全体を通して感じられるゆるやかな思想の一貫性とかそういうのも読みたいから、前のエントリーと全然違うことをいけしゃあしゃあと書き綴るタイプの方が好みかもしれない。

23:54

自分のアンテナや RSS リーダーに何も変化が無いと、何か不安になる。自分が大量に更新していたりするとなおさら。自分が何かに取り残されて、それで晒し者になっているような感覚。

こういうのは何という名前の付いた妄想なのだろうね。

Written by Kuwata Chikara
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