何か久しぶりに HTML の論争を見た。大体こういう論争が不毛な結果に終わるのは、
じゃあ俺の立場はというと、標準準拠のデータしか出さないツールを作って配るね。ってか、俺の公開してるプログラムはそういう意図が含まれているのだけれど。
俺はどちらかというと標準規格尊重派というか、例えば HTML では table や font でデザインするとメンテナンスコストが異常にかかるから、そうしていないだけなのだけれど。CSS ならファイルを一つ (複数のファイルに分割していない場合の話ね) 差し替えれば済むが、 HTML ファイルに直にデザインを書いてしまう場合、全てのファイルをリビルドする羽目になる。
この論法だと動的生成だったらいいのかとか突っ込まれそうだが、じゃあページのテンプレートファイルを弄るのと CSS ファイルを弄るのでは、どちらがリスクが少ないだろうか。答えは自明だ。
HTML の構造を解析する機会の多い身としては、物理マークアップと CSS デザインのどちらにしても、場合によっては極めて迷惑だ。例えばアンテナとかヘッドラインセンサの類を作る場合、見出しとその直近の段落を使ってページの要約を作るとか、そういう事が出来ればかなりアプリケーションの能力は上がる。それが不可能なページの場合、タグを全部とっぱらって素のテキストにして、前回との差分を表示とかそういう羽目になる。さらに前者であれば、普通の Web ページから RSS を出力するとかも簡単に出来る (永続リンクの抽出などは、ある程度のフォーマットにしたがってもらう必要はあるだろうが)。
俺は物理マークアップをする連中は本当にバカだと思う。連中は自分達のせいで、より高度で利便性の高いサービスを受けることが出来なくなっているのに気がついていないのだから。
ちと自分の立場を簡単にまとめてみる。
以下はセーフと思っている物。
以下はデザインの方法が CSS でもアウト。
table や blockquote など本来の意図と違う方法でデザインをされると、本来の意味として扱っていいか不明になるので論外。あと見出しの代りに div 要素を使っているのも論外。俺はお前じゃないんだから、 <div class="heading"> とかされてもわからないんだよ。
つまり、本来の意味で HTML を使っている限りは別にどうとも思わないということ。
たださんは強烈な W3C の標準規格のエバンジェリストではないからこそ、まともな指摘が出来たのでは無いか。
仮定:マニア以外からの指摘をしてもらった方が効果的。
自分に対してチョコレート及びたべっこ動物禁止令を発動。
「ブログのユーザビリティ:デザインの間違いトップ 10」が公開されているが、前回のやつとは違って完全にビジネス・専門寄りなのが少し残念だ。
以下はそちらの方面ではない、所謂趣味でのブログの運営をターゲットとした場合の話。
サークルの友人と話していて、そいつがふと漏らしたアイディア。「meta とか robots.txt でクロールが禁止されているページだけを収集する検索エンジンってどうかな」。
こういう発想が出来ることは (実際にするかどうかとは全く別問題として) 強みだと思う。
Bloglines でフィードを購読していることを公開しない設定にすると、 Bloglines の UA の購読者数にカウントされないっぽい。
簡単に表現してしまうなら、思考停止と規則の独り歩きがもたらした極めて間抜けな悲劇。
本の中で印象に残ったセンテンスの一つに、何がどう不適切なのか説明しないのでは謝罪の意味が無いというニュアンスの発言がある。同じく倫理的な理由により規制のなされているエロ本について同じように考えると、何がどう不味いのかをきちんと説明できている奴ってどれだけいるんだろう。
この自分で説明できない倫理観の事を倫理判断のアウトソースと自分の中で呼んでいるのだけれど、これって最近あった漫画家の模写・トレース疑惑のときとかのまネコ問題の時にも散見された気がする。誰かの音頭で突き進むというか、そういう感じで。
案外、多くの問題は同じ原因から生まれているのかも。
石原都知事が鬼畜小説を書いていたらしいという事について検索したら、「組み技のスパーでギュギュギュっとやっていると少々アンニュイな肉体関係が発生しません? という質問に答えてみる」という文書を発見。ノーコメント。
全然関係ないけど、火星大接近のサイクルらしく、火星が綺麗だ。