Dead Link Checker とかいうワケワカメなクローラーが微妙にうざいのだが、 Omni Explorer のように殺したいぐらいうざいわけでは無いので放置中。名前からするとリンク切れのチェックらしいが、果たしてそれに意味はあるのか。
それはともかく、 Opera のバージョンが上がるたびにメールデータの移行とか、本当にやってられないのだけれど。どうしたもんかね。
前にダメだろこれ的なコメントを付けたSTOP THE KOIZUMIのブログ、トラックバック欄が酷いことになってるんだけど。自分が敵と見なした陣営からのトラックバックに対しては、実質的な削除を行ってる。
こういうのはレアケースだと思うのだけれど、トラックバックなどの当時者間で完結するメカニズムってのは上手く働かない恐れが結構ある以上、こういうブログが他にもないとは限らない。じゃあどうすれば、この手の仕組をまともに使えるようにできるのか。
結局の所トラックバックなどの仕組は使い手の良心に依存せざるを得ないわけで、じゃあ上記のブログのようになりふり構っていない奴にはどうすればいいのか (生温かい視線を送るぐらいしかないよな)。そしてトラックバックが有効に働くような人及びそのコミュニティは、一体全体世界にどれだけあるのだろうか。
やや日記の形式を変更。変更点は、
以上二つ。
追記(同日 02:59):やっぱリダイレクトうぜえ。やめたやめた。
コンテンツネゴシエーションを行って無拡張子でアクセスしている状態で、ページ内へのフラグメント ID を #id 形式で付けると勝手に url.html#id と拡張子が補間されてしまう。これはどうも Opera のバグっぽい。
多分他のブラウザでは大丈夫だろうから、まあ放置しておこう。どうしても対応しなくちゃいけなくなったら、無拡張子の URL にリダイレクトさせればいいだろうし。
取り留めもない話。
異なる自然言語は多くのプログラミング言語がそうであるように、本質的に等価な物なのだろうか。つまり、ある言語 A と別の言語 B が、同じ概念をそれぞれの言葉で説明可能なのだろうか。
例えば「りんご」に対しては「Apple」という英語が対応している。俺はこのことを「りんご = Apple」ではなく、「りんごが指し示す概念 = Apple が指し示す概念」と理解している。赤くて、木になりていて、酸味があって、健康に良いとされていて……という概念を、それぞれ別の言語で言い表しているというか。
かつて日本語には「自由」という言葉は (一般的という意味で) 存在しなかった。福沢諭吉が「Liberty」に対応する日本語として仏教用語から持ってきたというのだが、これはつまり新しい言葉を定義することで、異なる自然言語間で意味の交換が可能になるということなのだろうか。じゃあ「プライバシー」は「Privacy」をカタカナで表記しただけで、本当に日本語として「Privacy」を取り込んでいるといえるのだろうか。そういえば「Tsunami」は国際的に通用する言葉だとか何とか。
もしも自然言語がお互いの言葉をそのままの形で取り込み合っていったとしたら、いつしかそれらの言語は等価な存在となるのだろうか。
こうして考えてみると、日本語ほど外来語に対して柔軟な言語は無いのかも。二種類のかなと漢字、そしてほぼ全ての日本人がアルファベットを扱えることを考えると、外来語を概念としても言葉としても取り込みやすいんじゃないか。
取り合えずここまでで投げっぱなしにして終了。
検索エンジンなんかだと、ページが読み込まれたときに勝手に検索フォームにフォーカスされるけど、これってキーボード操作に偏重している俺からすると嬉しくないことが多いんだけど。やっぱそういう人が少数派だからこそ、こういうインターフェースデザインが可能になるんだろうなー。
それでさらにその先のインターフェースを求めると、パーソナライズとかそっち方面に行くのだろうけど、どこまでカスタマイズ出来るようにするのか、そしてそこまでする人がどれだけいるのかって所が焦点だろう。
Dead Link Checker うぜえ。ってか、マジでクローラー作る奴は弾きかたを書いてくれ。
それはともかく、本題の「人間の遺伝子の変化量の図解が完成」最初に誤っておきます、ゴメンナサイ。今回はどの意味で取っていいのかわからなかったので、適当に意訳しました。
しかしまあ、これをやった連中は本当に凄いよ。こういうニュースを見るに付け、科学の進歩ってのが空恐ろしくなるし、科学に比べてソフトウェア工学は進歩しているのだろうかと不安になる。いや、そもそもソフトウェア工学なんて存在してるのだろうか。実は俺たちがソフトウェア工学と呼んでいる物は、単なる虚像じゃないのか。まあ、ソフトウェア工学の歴史を考えると、いまだ発展途上なのはまちがいないと思うけど。じゃあソフトウェアがまともな学問になったとして (俺が大学で教わったのは学問とは程遠い)、そのときに科学のようにエキサイティングなままなのだろうか。
話がずれた (いつもの事だけど)。まあいいや、ここらで終了。
やっぱ機械翻訳は Excite のが一番品質が高い。いやそれでも全然ダメなんだけど、多少手直しするだけで意味が通じることがあるのだから、捨てたもんでもない。
ところで「機械翻訳に関する天動説と地動説」はその機械翻訳についての限界を示しているのだけど、これは恐らくコンピュータそれ自体の本質をもついているような気がする。
セマンティクスを考慮し始めると確かに人工知能になるのだけど、俺は人工知能はうさんくさいと思っているというか、そもそも知能の定義って何。チューリングテストはあくまでもそれっぽい振る舞いかどうかの判断しか出来ないだろうし……。
やっぱコンピュータで何もかもやるのは不可能というか、それはやっぱりセカンドシステム症候群かつ一般化症候群かつコンコルド錯誤なのだろう。