経験上、オリジナリティを過剰に要求する連中にオリジナリティのあった奴は一人もいない。
俺は最初に SSD の開発を始めたとき、いくつかの既存のプログラムを参考にしている。それらは現在の SSD とは全く違う、似ても似付かない設計思想だったのだが、実はこれは本来正しくなく、最初に俺が書いた SSD は TextWiki をベースにしたまがい物だった (オリジナルは一旦中間形式に変換しているが、俺は HTML で出力できればいいのでワンパスで HTML を吐くようにした)。そこからいろいろあって今の形に落ち着き (途中で言語が PHP から Python に変わったりした)、公開に至ったわけなのだが。もしも俺が最初に模倣しなければ、 SSD はこの世に存在しない。
全く同じ事は Ghost にも言える。これは htmltemplate の Python 移植として始まったが、そのうち今の文法を思い付いて軌道修正したという経緯がある。実は Ghost の 1.x 系統は、前述のプログラムの移植版として公開していたのだ (欲しい人いるかな)。その後文法が滅茶苦茶変わったのだが、どうせ誰もダウンロードしてなかったしということで、新しく名前を考えるのが面倒という理由により、晴れて Ghost2.x 系統が公開されることになった (話がずれた。まあいいや)。
模倣が良くないこととされるのはそれが商業的に相手を妨害する場合であって、それを道義的な問題とするのは違和感がある。むしろ模倣されるというのはそれが価値あるものだからという証明に他ならず、模倣された側にとっては名誉な事だろう。そしてその先に創造がありうることは前の二つの段落で俺が示した通りだ。だから、俺は自分の文章やプログラムがどこかで模倣されたら、怒るどころか大喜びするだろう。たとえそれが俺のプログラムを別の言語で実装し直しただけだとしても、そこには大きな価値がある。
オリジナルに病的なまでに拘っている連中は木を見て森を見てないのかどうか知らんが、俺の目には恐ろしく歪んだ物の見方に見える。
ていうか、そんなに長く書く必要は無かった。
別の書き方をすると、
問題になったスラムダンクからの盗用疑惑 (リンク先は検証ページ) については、多分問題のシーンを書き換えても大勢に影響は無いだろう (読んでないので断定は不可能だけれど)。だったらそれぐらいで外野が騒ぎたてるのは、なんつーかみっともないよ。