Diary?::2005-08-27

GoogleやAmazonに牛耳られる世界と、Microsoftに牛耳られる世界、どっちかを選べといわれたらどっちを選ぶ?

多くの人が、その両方を選んだ気がする。例えば俺は、いまだにGoogleの支配から抜け出すことが出来ないでいる。

Google八分が脅威にならない世界を俺は望んでいるのだけれど、普段複数の検索エンジンを使い分けている人ってどれだけいるのだろう。多くの人にとっては検索エンジンとGoogleあるいはYahooは殆んど同義語じゃないのか。

俺は病的にモノカルチャーを嫌悪しているのだけれど、一体それは何故なのだろう。


モノカルチャーで思い出したけど、俺は音楽とかのランキング番組ってが好きじゃない。どうにも「これを聴かなきゃ!」みたいな主張がされているようで。それにランキング情報自体、信用できるかといわれたら信用できないしね……。


俺の文章の特徴に、一人称の多用とか句読点の使いかた、文末の形式があるのだけれど。どこで影響を受けたのだろう。

あんまり小説とか読まないから、多分Web上のどこかで受けたのだろうけど……。思い当たる節があまりない。

一つ思い当たるのは、音楽の歌詞。所々で意味的な繋がりを飛躍させたり、不自然な文末にしたり、リズムに拘ったり。そうか、俺の書いているこれはdiaryじゃなくてlyricなのか。

今日も電波が好調だ。


電波が好調になると日記が長くなるな。


人生の1/3を読んで思ったのだが、一体いつから俺の人生はカウントすればいいのだろう。プログラミングを始めたとき? 初めてゲームを完成させたとき? 卒論に着手したとき? Pythonの存在を知ったとき? このWebサイトを始めたとき? それともまだ?

きっと一人につき一つの人生って考え方が間違っているのだろう。俺にはプログラマとしての人生があって、Webサイト運営者としての人生があって、研究者としての人生があって、他にもいろいろあって。そうして定期的に死んではまた新しい人生を歩むのだろう。

本当に今日は電波が好調だ。


2002年6月からの日記を全て一つのファイルにまとめている剛の者がいました。でもこの人は日記を書く頻度と分量で手加減をしているので、それほど大変なことにはなってない。もし俺が今後数年間にわたって今の勢いで日記を書いたとして、それらを全て一つのファイルにまとめたらどうなるのだろう。

Written by Kuwata Chikara
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