何で俺が毎日無駄に多く日記を書くのか、その理由がわかった。この日記は俺にとってはプロトタイプなんだ。
実の所俺は一つの完成形をイメージして文章を書くってのがあまり得意ではなく、こうやって思い付きをだらだら書き連ねていくうちに変な所でシナプスが繋がるようにするってのが得意で。だからこうやって分量勝負で書いているのだろう。
ちなみにこれまで何度かコラム形式の文書にチャレンジしたことはあったが、それらは全て失敗した。
もしかしたらPythonに傾倒したのも、こういう性格が影響したのかも。
ここ最近は割と古くから存在する、俗にいう古典的なほーむぺーじを見ることが多いのだけど、やっぱ陳腐化する前の方が密度が高いものが多いな。今みたいに裾野が広がっている方がいろんな人がWeb上にあがってくるという意味では面白いのだけど、もうそろそろ表層的なブームから卒業してもいいんじゃねえの?
このサイトは最新のテクノロジーを使いながらも古典的な作りを標榜しているサイトです。今決めた、今。
あまりにも面白いページを見付けてしまったので、勢いではてなブックマークを始めてしまった。
でもよりよってお前の後ろに誰かいるぞというタイトルを付けたのは少し後悔。
俺はカタストロフィ、オトシマエ、リセットボタンというものは絶対に必要だと思う。それはバージェスの海だったり、恐竜の絶滅だったり、氷河期だったり、そして戦争だったり。
戦争ってのは癌と同じで根絶は無理というか生物が背負った宿命みたいなもので、それといかに向き合うかしかない。戦争はクソだというのは簡単だが、どうやってそれを止めるんだ? 政治的、経済的あるいは宗教的な歪みがあるから戦争が起こるのだとすれば。
地震の根源が地球の内部の運動による大陸プレートの移動なら、もし地球が内部に溶岩のマントルを持たなければ。
要するに一つの思想で人類全員を洗脳してしまえば戦争なんざ起こらねえってことが言いたいのだが、それって楽しいかい?
でも特定の宗教団体(つーかむしろ殆んどの宗教団体)や倫理だの道徳だので他人を縛る事が好きな連中って、マジでそういうことを考えていそうだ。そういう世界を見てみたい気もするけど、その世界はたった一つのアキレス腱を切るだけで簡単に崩壊するだろう。いや、俺はそれが見たいのだが。バベルの塔が崩れる瞬間。
戦争が起きているって事は、人類全体の精神的な強度がまだ大丈夫な事の表れかも。
滅茶苦茶久しぶりにTVタックルを見る。TVタックルはお笑い番組としてかなりいいと思うのだけれど、これを真面目な政治番組として解釈している人ってどれぐらいいるんだ?
お互いが勝手に喋りあうことを会話とはいわない以上、あれがまともな政治番組であるはずがない。時々まともな事をいう人を連れてくるのは擬態だ、騙されてははいけない。