Diary?

2009-01-10
Sat

(12:23)

エルミナージュ DS の Ex ダンジョンに行き着いた。そこに行くための条件が各地に散らばった祭壇を探すというものだったが、これは完全ランダムなのか固定なのかわからん。一応ヒント屋でヒントが買えるので、完全ランダムになっている必然性はなさそうだが。

それで Ex ダンジョンだが、竜の牙に輪をかけて敵がえげつなくなっており、普通に首切りやエンテルクミスタが飛び交う混沌とした状況になってる。なので奇襲されたら死を覚悟なレベルだが、奇襲されなければ割と普通に勝てる。というか無限に使える回復の泉が最初のフロアにあるので、案外探索は楽に思える(司教が生きてさえいればティオメンテでいつでも戻れるし)。

あと Ex ダンジョンには無茶苦茶な性能の魔界の公爵と呼ばれるボスが何体かいるのだが、どうしても勝てなければ

  • ボスの前に配下の雑魚が隊列を組んで登場するまでソフトリセット繰り返し
  • そのパターンになったら雑魚を麻痺や石化で無力化させて補助呪文を使いまくる
  • 前衛の総攻撃とゼオナダルで一気に勝負を付ける

というパターンで割合余裕で撃破可能。一部に AC -30 程度あっても普通に攻撃が鬼のようにヒットして首をはねてくるアナーキーなボスがいるので、そいつはこれでないと厳しかった。

しかし Ex ダンジョンの入り口が「○○○○ー○○」だとか、割合凝った舞台設定になっていたのには驚き。

(18:14)

エルミナージュは一応 Ex ダンジョンのボスもしばき倒して二周目プレイの条件を満たしたので、最終的な感想……の替わりに「RPG におけるストーリーと妄想」と「世界樹の迷宮シリーズとエルミナージュの決定的な差異」「俺にとって面白いのはどちらか」について書いてみる。最初に結論から書いてしまえば今の俺の嗜好には世界樹の方が圧倒的に合致しており、エルミナージュはある意味で世界樹とはまったくもって逆の象限に存在し、それでも俺がエルミナージュを楽しめたのは、ダンジョン探索という普遍的なゲーム性とキャラクターメイクに代表される妄想喚起力の高さのおかげだ。ただし、両者ではそれらに対するアプローチが全然違い、俺の嗜好に合致するのは世界樹だった。

まず最初にゲーム、というか RPG におけるストーリーの存在について意見を書いておくと、俺の考えるゲームのストーリーというのはシナリオライターの書いた筋書きでは断じて無く、例えば「帰還用のアイテムを忘れてダンジョンの奥深くに潜ってしまった絶体絶命の状態から奇跡的に生還」であったり、「間違えて挑んだ格上の敵をとっさの機転で撃破」であったり、「攻略に有用なキャラクターと既存のメンバーを入れ替えるかどうかで苦悩」といったゲーム性とプレイヤースキルの生み出す筋書きの無いドラマこそがゲームにおけるストーリーだと考える。なので特に妄想を膨らませる時間的な余裕の多い RPG において、勝手にペラペラ喋るプレイヤーキャラクターは邪魔以外の何者でもない。

そしていかにして妄想をさせるかという点で、世界樹とエルミナージュは完全に違う方向を向いている。例えばエルミナージュで俺の組んでいたパーティは

  • ワービースト闘士
  • ドワーフ戦士
  • ホビット盗賊
  • フェアリー僧侶
  • エルフ司教
  • デビリッシュ錬金術師
  • ドラゴニュート侍(途中で脱落)

といった面々で、全員一切転職の類はさせていない。エルミナージュは明らかに転職した方が有利なシステムで、具体的には何かしらの魔法をレベル9まで使える魔法戦士を作るのが極めて有効だ。ところがそういうことをやっていると、たとえ本職の方がうまく魔法を使えるにしても、あるキャラクターがその職業に就いている意味合いと言うのが曖昧になっていくのだ。俺はそれが嫌なので別系統への転職はまったく考えていなかったし、結局同系統への転職もさせていない。

職業の他にもエルミナージュに用意されたカスタマイズ手順は豊富で、装備を強化して本職の僧侶で無くても霊攻撃可能にしたり、逆に後衛の打撃力を多少ではあるが強化して、弱い敵なら殴り倒せるようにすることもできる。ゲーム性とは関係ないところでは、キャラクターの顔アイコンが膨大な量である上に顔アイコンを使わずに職業アイコンにして想像に任せるという選択肢もある。

つまりエルミナージュのスタイルは膨大なデータの海にプレイヤーを投げ込んで、その先の妄想は一切合切プレイヤーに投げられているのだ。これはこれで面白いのはそうだが、それによって喚起された妄想の分量は世界樹ほどではなく、さらにそれを他人が楽しめる形で書き下す術がないことに気がついた。確かにエルミナージュは世界樹に比べるとカスタマイズの自由度の高さで遥に勝るが、それはプレイヤー同士のイメージの乖離を招いてしまうのだ。結局エルミナージュは「一人で妄想してニヤニヤするゲーム」という Wiz の妄想フォーマットも踏襲していて、そして俺にはその妄想を面白い文章にするだけの能力は無い。

対する世界樹の迷宮は極めて単純明快なカスタマイズ性だ。グラフィックは職業ごとに用意された各4パターンから選ぶ他無く、その職業もスキルシステムにより複数のスタイルがあるが、何を選んでも得手不得手は存在する。戦闘バランスもエルミナージュに比べるとより理路整然としていて、強敵に勝てないのはサイコロ運というよりはむしろプレイヤーの戦術が間違っているせいで、その戦術もエルミナージュのように「ひたすら補助魔法を重ねるかレア装備大量入荷で蹂躙」ではなくパーティ構成によりまったく違うアプローチが必要だ。

ダンジョンの作りも両者では根本的な発想が異なる。エルミナージュはあくまでも玄室を守るモンスターをしばいてアイテムを収集してキャラクターを育成するのが主眼で、ダンジョンは半ば敵を探すためのバトルフィールドとなっている。それに対して世界樹のダンジョンはギミックと敵出現パターンの計算に傾倒していて、モンスターの出現パターンとダンジョンをうろつく FOE との合わせ技でプレイヤーに叩きつけられた挑戦状といえる。

世界樹がエルミナージュと大きく異なるのは、エルミナージュが主にプレイヤーの妄想部分についてはゲーム性と割と切り離されているスタイルなのに対し、世界樹では職業ごとのピーキーさ加減とダンジョンのギミックなどシステム的な部分により自分のプレイの中に物語性を見出しやすくなっている。キャラクターの強さの上限は明らかに低く、戦闘スキルと探索スキルでリソースの食い合いが発生し、一回の判断ミスは致命的な結果を招き、そしてプレイヤーのマッピングミスは探索を著しく困難にする。限られたリソースとサイコロ運によらないシビアさ、それらの要素が物語を生むのだ。

そして世界樹の最大の特徴は、これらのプレイヤーごとのイメージがカスタマイズの制限(特にグラフィックイメージ)のおかげで他のプレイヤーと容易に共有可能であることだと俺は思っている。何より俺は世界樹の迷宮2の妄想記録とかそういう感じのページの読者から「自分のパーティに○○(キャラクター名)を入れました」などといったメールをもらっている。その時はあまりこれが何を意味するのか良くわかっていなかったが、「鞭スキル型ダークハンター」「探索特化レンジャー」などではなく、俺の作ったキャラクターが名指しで呼ばれているというのは考えてみれば異様といっていい。

こうして考えると、エルミナージュにおいてゲームの基本的な目的である「指輪の探索」がプレイヤーごとに異なった経路となる(指輪の位置はランダムで決まる)のも、プレイヤーごとにまったく違った冒険の物語を体験させる仕掛けに思えてくる。世界樹ではクリアまでの道のりは完全に一本道で、せいぜいサブクエストをいつどれだけこなすか程度しかプレイヤー間で違いはでないが、そもそも世界樹においてはプレイヤー間のコミュニケーション、もっと言えば妄想の交換が重要なのでその点はむしろプラスに働く。

俺が世界樹の迷宮を支持する理由はこんなところだ。純粋にシステムとしての面白さも確かに世界樹の方が俺の嗜好にはマッチしているが、そのゲームデザインがもたらす妄想喚起力こそが世界樹シリーズの核心だと思う。これが損なわれない限り続編を買いつづけると思うのだが、さて第3作のアナウンスはいつになるかねえ?

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