Diary?

2008-07-18
Fri

(01:02)

新人の頃はみんな今よりも学習意欲はずっと高かったんだけど、段々と意欲が減衰していって、それで成長が止まっちゃうんだよな。そうなると技術的に難しいところ(=一番面白みを感じ易いところ)を全部俺がもっていく形になっちゃうわけで、ますます技術格差が開いていく。前にもちょっと書いたけど、本当にこれは良くないよ。

じゃあ何で学習意欲がなくなるのかというと、そりゃあ原因は人それぞれで尚且つ複合的なものだろうけど、その一つに仕事を面白がる能力がないってのがあるのかもしれない。面白くないんだからモチベーションが上がらず、特にいわゆるデスマーチとか泥仕事だと全然上がらない。恐らく一番致命的な違いがここなんだろうと思う。

じゃあお前はどうなんだというと、実際のところ酷い仕事、たいしたことのない仕事でもそれなりの楽しみは見出している。例えば去年の仕事はどこに出しても恥ずかしくないヘドロプロジェクトだったけど、それでも楽しみは見出せていたわけで、それは一体どうしてなんだろうと思ったら一つの仮説に達した。物語を作れるかがこの差異を生み出しているんじゃねえか。

テンションに任せて俺の場合の例を適当に書くけど、

クソなプロジェクトの管理体制の目をかいくぐり、ゲリラ的に作業環境の改善策となる奇策を捻り出そうとする Kuwata。

しかし現場の環境はあまりにも貧弱、ツールを作ろうにも Java とバッチファイルと Excel の VBA しか使えそうなものがない。

そして藁にもすがる思いで探したディレクトリの中に光る "jython.jar" の文字。乾坤一擲の一撃なるか?

最大のネックである「誰も Python/Jython なんて知らない」という問題に目を瞑り、やってる事は管理者側的には完全にサボリ。

気をつけろ、うるさ型にバレたらどうなるかわからんぞ。あと職場で「死ねこの知恵遅れ」とか言うのはやめとけ。

とか、

既に現場のモチベーションは最悪な状態、ゴミのような作業と長時間の残業で心身に影響の出ているメンバーも少なくない。

Kuwata 本人も既に限界が近く、昨日も「心に風邪をひいた」とかいって突発的に休んだばかり。

そんな中で本社から「現状で負荷の高まっている社員へのヒアリングを個別に行いたい」との通達が。

ここで自分のクビをカードに自社の上層部を交渉の席に引きずり出すことを画策する Kuwata。

既に撤退の言葉も囁かれる最悪の状況のプロジェクト、さあ詰むや詰まざるや?

とか、

ギリギリの交渉が功を奏してようやく残業時間がマシになりつつある中、チームに激震が走る。

「Javadoc の体裁に関する規約の正式版が作られたので、過去に作ったものをすべてそれに合わせてください」

その性質上先行で開発を開始していた Kuwata チームには完全な死刑宣告。

何しろ予定している全成果物の 90% を既に作っているのだ。それを全て今すぐ修正?

「ここでこいつら殺せば確実にクビになって解放される」という不穏な考えをなだめつつ、

できれば最後であってほしい交渉のテーブルに付く Kuwata。流石に年貢の納め時か?

とかこんな感じで、つまり自分がそのプロジェクトという物語の登場人物だと思えるかどうか、そして登場人物である以上はそれらしい働きをしないとダメだと思えるかどうか。何か幼稚な話かもしれないけど、でも俺は仕事を楽しめるかどうかという事と自分なりの物語を自然と作り出せるかってことは密接に関わっているんじゃないかと思ってる。

いやまあ、流石にここまで妄想逞しくして仕事してるわけでは全然なくて、「今思えばこういう心持ちで仕事してたな」って感じで後付けで書いてる部分も少なくないけど。それでもその仕事にはどんな役割が必要で、自分に与えられた役割は何で、そして自分はその役割をどうやって演じればいいのかって事は割と考えてる気がする。

それで学習しようとしない奴の話に戻ると、多分奴らは自分の役割がわかってないんだ。これはかなり俺個人の価値観だけど、自分が果たすべき役割がわかってしまえばその役が最大限格好良くなるように振る舞うものじゃない? というか俺の価値観は「格好いい/悪い」「面白い/詰まらない」という軸なんで、例えば同僚に尻拭いばっかさせてるのは確実に死ぬほど格好悪い。で、ずっと格好悪いままでいいの?

そしてここまで長々と書いてきてふと最悪の可能性に気がついた。奴らは自分の役割に気がついてないんじゃなくて、そんな物語の行方を左右するような役割は後免だ、なんつーかもう背景のオブジェで良いやと考えているのかもしれない。もしそうだとしたら、俺には本当に打つ手がない。だって背景のオブジェは全然悪くないからな。単なる交換可能な作業者としてただ淡々と仕事して給料もらうだけっていうのは、俺にとってはまったく理解できない生き方なんだけど、それが悪いかというと悪くない。悪くない以上はとやかく言われる筋合いはないだろうしな。

やっぱいらんお節介なのかね、社員への教育制度とかって。

(22:15)

本当にコードを書いて生活したかったら、 SIer じゃなくて下請けのソフトウェアハウスに行けって話なんだよ。

  • オフショアとの苛烈なダンピング合戦
  • 自称「上流工程専門」が作るスパゲティ仕様書との格闘
  • 要件定義レベルからの事実上の丸投げ
  • 異常極まりない締め付け管理、あるいは行き過ぎた丸投げ放置
  • 明らかに足手まといな奴でも切り捨てられない日本型の雇用習慣
  • 技術力よりも年齢で重み付けされる単価

その他諸々のクソな現実に対して「俺が世界を変えてやる」ぐらいの意気込みがあれば、下請けのソフトウェアハウスで生きるのも悪い選択肢じゃない。ただし、それなりに充実した仕事をしたいなら、それなりの修行はすること。

もっとも俺がこんな事を書けるのは、うちが二次請けより先の多重下請け構造に組み込まれていないからって気もする。三次請け四次請けとなるにつれ、指数関数的に仕事がクソになっていくんだろう。だってもしもそういったところに振れる仕事は何かって聞かれたら、俺だって「ションベンみたいな仕事」としか答えられない。

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